4/10~19 工事通行止のおしらせ
【工事通行止のおしらせ】
期 間 2024年4月10日~19日(予定)
場 所 珍布峠ガイドマップの珍布峠 西から
No.11看板までと、あずまや付近
上記の期間は、ショートコースのみ通行できます。
但し、珍布峠以西No.7看板~礫石No.10看板まで
山道の下り坂(整備済)ですので、通行には注意
してください。
珍布峠(めずらしとうげ)は、国分け伝説の史跡で、旧和歌山街道にあります。
珍布峠などの史跡を含む“珍布峠ウォーキングコース”は、2015年9月に“新日本歩く道紀行100選「歴史の道」”に認定された、飯高駅発着のコースです。
アップダウンが少ない1~2時間のコースは、どなたでも気軽に史跡巡りができることから人気のウォーキングコースです。
飯高駅 案内事務所で分かりやすいコースマップをお渡ししていますので、飯高駅に車を駐めて気軽にウォーキングをお楽しみ下さい。
ウォーキングの後は、天然温泉「いいたかの湯」に浸って、疲れを癒やしましょう。
ダウンロード ⇒ 珍布峠パンフレット・2022年版 (5.35MB)
ダウンロード ⇒ 珍布峠ウォーキングコースマップ (1.12MB)
団体様歓迎します!
コースを熟知したガイドボランティアさんと一緒に珍布峠を歩いてみませんか。
10名以上の団体様は、無料で地元の方々が「珍布峠ウォーキングコース」を
案内してくれます。(要 事前予約。遅くとも10日以上前までにご予約ください)
風光明媚なウォーキングコースも、ガイドの案内があればさらに楽しくなります。
詳しくは「飯高駅 案内事務所(TEL : 0598-46-1111)」へお問合せ下さい。
※万が一、ご希望に添えない場合はご容赦ください。
『スタート&ゴール』
スタート&ゴールである道の駅 飯高駅の館内にある案内事務所で
珍布峠ウォーキングコースパンフレットをお渡ししています。
パンフレットには、詳細なルートマップのほか、旧跡などが写真付きで分かりやすく紹介されています。
まずは案内事務所へ立ち寄り、パンフレットを片手に歩きましょう!
『案内看板』
道の駅 飯高駅の隣、“飯高地域振興局”前の信号の脇に1つ目の案内看板があります。
案内看板は、コース上に全部で30ヶ所設置されています。
各案内看板にはマップも付いていますので、迷うことなくコースを回ることが出来ます。
『道標』
本ルートに残る唯一の道標。この道標が珍布峠の入口です。
道標には「左くりたに是よりれいふみち八十丁紀州ミちよし乃かうやならはせ」
と書かれています。
街道は、ここで栗谷(宮川村)方面と吉野(奈良県)方面へ分かれていました。
この辺りは“片町”といい、かつては街道の片側だけに家が建ち並んでいました。
珍布峠(めずらしとうげ)は、国分け伝説の史跡で、旧和歌山街道にあります。
珍布峠などの史跡を含む“珍布峠ウォーキングコース”は、2015年9月に“新日本歩く道紀行100選「歴史の道」”に認定された、飯高駅発着のコースです。
アップダウンが少ない1~2時間のコースは、どなたでも気軽に史跡巡りができることから人気のウォーキングコースです。
飯高駅 案内事務所で分かりやすいコースマップをお渡ししていますので、飯高駅に車を駐めて気軽にウォーキングをお楽しみ下さい。
ウォーキングの後は、天然温泉「いいたかの湯」に浸って、疲れを癒やしましょう。
ダウンロード ⇒ 珍布峠パンフレット・2022年版 (5.35MB)
ダウンロード ⇒ 珍布峠ウォーキングコースマップ (1.12MB)
団体様歓迎します!
コースを熟知したガイドボランティアさんと一緒に珍布峠を歩いてみませんか。
10名以上の団体様は、無料で地元の方々が「珍布峠ウォーキングコース」を
案内してくれます。(要 事前予約。遅くとも10日以上前までにご予約ください)
風光明媚なウォーキングコースも、ガイドの案内があればさらに楽しくなります。
詳しくは「飯高駅 案内事務所(TEL : 0598-46-1111)」へお問合せ下さい。
※万が一、ご希望に添えない場合はご容赦ください。
『スタート&ゴール』
スタート&ゴールである道の駅 飯高駅の館内にある案内事務所で
珍布峠ウォーキングコースパンフレットをお渡ししています。
パンフレットには、詳細なルートマップのほか、旧跡などが写真付きで分かりやすく紹介されています。
まずは案内事務所へ立ち寄り、パンフレットを片手に歩きましょう!
『案内看板』
道の駅 飯高駅の隣、“飯高地域振興局”前の信号の脇に1つ目の案内看板があります。
案内看板は、コース上に全部で30ヶ所設置されています。
各案内看板にはマップも付いていますので、迷うことなくコースを回ることが出来ます。
『道標』
本ルートに残る唯一の道標。この道標が珍布峠の入口です。
道標には「左くりたに是よりれいふみち八十丁紀州ミちよし乃かうやならはせ」
と書かれています。
街道は、ここで栗谷(宮川村)方面と吉野(奈良県)方面へ分かれていました。
この辺りは“片町”といい、かつては街道の片側だけに家が建ち並んでいました。